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2015年度一般社団法人長岡青年会議所 理事長所信

設立趣意書

「新日本の再建は我々青年の仕事である」1954年9月5日、戦後の長岡において、先輩諸兄がこの言葉に情熱を抱き、志を同じうする同志が集まった。現在の公益社団法人東京青年会議所がスポンサーとなり、現在の一般社団法人長岡青年会議所(以下、「長岡JC」とする)が創立された。
地域と共に歩み続けてきた長岡JCは本年61年目を迎え、新たなる未来へ向け、一歩を踏み出す年としたい。60年という長きに亘り、地域の発展のために受け継がれてきた長岡JCの礎。時代を担ってきた先輩諸兄の汗と情熱に燃えた気概、そして感動であふれかえった涙があったからこそ、現在の長岡JCが存在する。過去から学び、「未来を語り、変化を恐れず、未来への挑戦と自らの覚悟が、新たな長岡の発展に繋がる」と信じ、地域の発展を創造していくことで、これからも地域に必要とされる、長岡青年会議所で在り続けなければならないのだ。

 人は新たな未来を描く画家である
 未来を語ることで描かれる、郷土長岡
 変化を恐れず突き進むからこそ描くことができる未来

我々は、覚悟をもって何事にも挑戦し、変化を恐れることなく邁進することで、魅力ある輝かしいまち長岡を創造し、「未来」を描いていかなければならないのだ。

未来への一歩

本年で60周年という新たな節目を迎えた長岡JC。我々の地域を取り巻く環境も、まち並も10年前とは変わり、駅前には新たな長岡のシンボルである「シティホールプラザ アオーレ長岡」が建設され、行政と共に、市民が手と手を取り合って創り上げる「市民協働」のまちづくりが展開されております。震災から10年が経ち、11年目という新たな一歩を踏み出した長岡は、歴史上、多くの災害から立ち上がった「復興」と、「米百俵の精神」などの古くから伝わる無形資産である長岡特有の「精神性」との融合型の地域発展を目指すべきであると私は考えます。
夢を語り合い、未来へと挑戦し、自らが覚悟を持って、70周年を見据えたひとづくり、即ち、まちづくり運動を展開していきます。

未来への発信

60年前を振り返り、あらゆる視点から現代を比較すると劇的に変化していることに「情報のスピード」が挙げられます。ITが普及している現在、情報の収集方法や発信方法は、間違いなく過去と比較をすると進化を遂げております。そして、情報を発信するマーケットに関してもアナログ発信ではさほど範囲は変わりませんが、インターネット上での発信により、全国、世界へと発信が可能になったことも現実であります。地域と共に継続的に行う青年会議所の運動展開が地域社会に認知されているかを検証する意味でもSNS、メディアを活用した情報発信や情報収集を積極的に行ってまいります。また、地域と共に歩む青年会議所として、展開した「まちづくり」のプロセスを公開することにより、地域から今まで以上に信頼をされると同時に、運動を通じて「ひとづくり」を展開したメンバーの誇りに繋がっていきます。

未来へのひとづくり

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」

この言葉は、我が郷土長岡が誇る偉人、山本五十六氏の言葉であります。「自らが手本を見せて聞かせて、変化や失敗を恐れず挑戦させ、さらに行動に移させて、努力や成果を称え、初めて人は動くのである」と書き記してあります。地域発展の背景には必ず「ひとづくり」というプロセスが重要であり、「人は人によって磨かれるものである」私はこの言葉を信条とし、実践していくべきであると考えます。
そして、20歳から40歳までの青年期に青年会議所活動により「生まれる絆」や「味わう達成感」を培うことができ、積極的に会員拡大を行なっていくと共に、強固な組織体制を構築することによって、地域に必要とされる人財育成を行います。さらに、人でいうと還暦を迎える長岡JCが60周年記念式典並びに祝賀会にて、いかなる発信をするべきか、長岡JCの根底にある「おもてなし」の心の在り方を徹底的に検証し、県内で留まることなく全国へ「長岡流おもてなし精神」を広く伝える運動を行なってまいります。

次世代へ繋ぐ未来

2004年10月23日17時56分、地響きと共に最大震度7を記録し、長岡のまちを襲った新潟県中越地震から10年が過ぎ、多くの人々に助けられ、震災からの復旧そして復興を遂げてまいりました。
震災当時、我々の先輩諸兄は自らの地域は自分たちの手で元気にするという気概と、震災でお世話になった全国の方々へ感謝の気持ちを込めて発信するべく、復興祈願花火フェニックスを10年間に亘り打ち上げる計画を立ち上げました。当時はメディアなどで「復興には10年かかる」と報道されており、復興に10年かかるのであれば、10年間復興を祈願した花火を市民と共に、打ち上げることで長岡に元気を取り戻すという力強い気概から実現されました。今や長岡を代表する「地域のたから」となった復興祈願花火フェニックス。当初の立ち上げから参画をしてきた長岡JCが復興祈願花火フェニックスの新たなたくましい一歩へ向けて一翼を担うことで、今まで以上に全国へと発信をし、これからを担う次世代への忘れてはならない震災の語りべとなるべく、未来へ向けたまちづくりを行っていきます。

未来へ向けて

1984年8月1日、平和で恵まれた暮らしの中で県内唯一の空襲を受けたまち長岡として空襲の悲惨さを風化さてはいけないという想いから「非核平和都市宣言」が制定されてから30年が経過致しました。また、多くの市民の協力の下、戦災殉難者への慰霊と平和への祈りを込め、開始をした「柿川灯籠流し事業」も本年で第32回目を迎えます。
長岡に住み暮らす我々にとって、忘れてはならない史実。1945年8月1日22時26分、空襲警報が鳴り響き、逃げる間も無い中、22時30分163,000発余りの焼夷弾が投下され、長岡のまちを火の海と化しました。二度と起こしてはならない戦争、二度と起こって欲しくない悲惨な史実をこれからの時代を担う若い世代に伝えていくことが必要です。戦後70年を迎えるにあたり、各種関係諸団体との連携を行うと共に、これからの時代を担う若い世代に戦争の史実を伝えていくことで、私たち大人が郷土長岡の歴史の語りべとなるように努めてまいります。さらに、史実を学び、伝えることに留まらず、何を学ぶべきなのかを地域と共に考え、広く伝えてまいります。

未来を担う次世代へ

戦災復興祭として1946年8月1日に始まった長岡まつりに、長岡JC創立以来、積極的に参画してまいりました。時代と共に、長岡JCとしての参画の形は変わったとしても市民と創り上げるという基本的な想いは、創立当初と変わらず本年まで継承されております。毎年、8月1日から3日という期間に全国から観光客が長岡に集まります。様々な困難から復興を遂げた長岡のシンボルでもある「市民協働」という精神を全面に発信することがさらなる長岡の未来への創造に繋がると考えます。
近年では、次世代の長岡を背負って立つ人間である若者に目を向け「Nagaoka高校生フェスタ」の開催も企画し、「長岡まつり」そのものが「市民協働運動」という位置づけで行政や各種関係諸団体と連携を図ってまいりました。今まで連綿と受け継がれてきたことを継承すると共に、新たなる長岡のまちの発展へと挑戦し続けることで、本来の戦災復興祭の意義を学び、市民一体となり、長岡まつりを盛大に盛り上げることによって地域の活性化の一助と致します。

結びに

「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい」愛媛県松山市で誰もが知っている言葉であります。我々の住み暮らす長岡でも、このような郷土愛が感じられる言葉が飛び交うまちを創っていきたい。ひとづくりは、まちづくり、60年という長きに亘り、受け継がれてきた、長岡JCの情熱や気概は、新たな時代へと突き進むと共に、進化をしていかなければなりません。未来を語ることによって描かれる新・長岡青年会議所、変化を恐れず、挑戦し続ける覚悟が、これまで創り上げてこられた先輩諸兄に対する恩返しであります。
現在、全国に697の青年会議所が運動を展開されています。各地にある青年会議所の中から、この長岡JCに入会し出逢った同士、即ち一生の仲間は、逢うべくして逢った最大の仲間(たから)である。メンバー一人ひとりとの出会いは、偶然では無く必然的な出会いである。

だからこそ、今のこの一瞬を大切にしたい。

「まじめに!楽しく!元気よく!」